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毎週月曜日更新 広沢タダシの週間エッセイ
2014.12.31 Wednesday

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2014.12.26 Friday
 新幹線が東京に着いたので、私は席を立って降り口のほうへ歩いて行きました。すると、後から男性が追いかけてきて、「忘れてますよ」と言って私に一冊の本を手渡しました。
 その本は、大槻ケンジさんのエッセイ集でした。旅先のCD屋さんで買った為、カバーを掛けていませんでした。なんだか私は恥ずかしくなって、「どうもすいません。ありがとうございます」と言ったものです。別に大槻さんの本だから恥ずかしかったというわけではないと思うのですが、あの裸を見られたような気恥ずかしさは一体何だったのでしょうか。
 これが例えばガルシア・マルケスの「百年の孤独」なら恥ずかしくなかったでしょうか。いや、それはそれで、人生や世界について知りたがっている生真面目さを笑われる気がします。加えて言えば、「あぁ、こいつは人生について追求している自分に酔っているな」と思われるのではないか、と訝ってしまうのです。この「頭いい人に思われたい願望が露呈すること」ほど恥ずかしいことはありません。百年の孤独といった文学に限らず、哲学、宗教、心理学、そういった人間追求に関する書物は、往々にしてそう思われる危険性を孕んでいます。
 マンガについても同じことが言えるでしょう。大人が読むような深くていい漫画を読むことは、「俺、こんな漫画知ってるぞ、すごいやろ」という自己顕示欲を露呈してしまうことになります。
「夢を叶えるたった七つの習慣」「お金持ちの考え方」などの自己啓発本に関してはもっての外です。これは逆に頭が良くないことを露呈してしまうからです。「売れる本の書き方」なんていう指南書を読んでいる人間は本来、そのタイトルこそが重要であること、そして自分こそがそのタイトルにやられて本の売り上げに貢献していることに気付くべきなのです。頭のいい人はそれを分かっています。
 それなら雑誌はどうでしょう。それも、「TIME」や「PRESIDENT」などの政治経済経営に関する雑誌。私はその辺のジャンルが得意ではありませんが、たまに一般常識としてパラパラと読むことがあります。そしてそれは、自分のフィールドにいいアイデアをくれたりします。こういった雑誌は一見「頭いい人に思われたい願望」を露呈しそうですが、実はそうでもありません。私などは、「忘れてますよ」と手渡してきた男性に対して、胸を張って「どうもありがとう」と言えるような気がします。では、同じ「頭の良さ」でも、百年の孤独と「TIME」ではどう違うのでしょうか。
 それはきっと、読んで知ろうとしているものが実際に世界に「在る」か「無い」かの違いだと思います。世の中で実際に起こっていること、つまり政治や経済を知ろうとすることは、自分にとっても自分の周りの人たちにとっても必要なことです。それは家族や自分の所属する会社にも有益です。しかし、小説やエッセイ、哲学書や自己啓発本、マンガなどは、人間が想像した概念であり、言ってしまえば「無い」のですから、これを読むことは「自分のため」以外に他なりません。自分の家族や会社の為、国の為に読むのではなく、自分の心や人生を豊かに、意義あるものにするために読むものだからです。
 少しニュースZEROの村尾キャスターのような断定的な物言いになってしまいました。実際は、「無い」ものを創る仕事をしている私だからこその感覚かもしれませんね。それとも、少しは大人になった証拠でしょうか。
 そうは言っても、自分の心を豊かにすることはとても重要です。自分の心が充実していないと、人にはやさしくできないからです。ですから、私のこのエッセイも、人目につかない場所でひっそりと読んでいただければ幸いです。決して外では読まないでください。あなただけではなく、なぜか著者である私も恥ずかしい想いをすることになりますから。カバーを掛けていても危険です。外では「TIME」を、家ではこのエッセイをおススメします。




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2014.12.31 Wednesday
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